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  • S.Yamauchi

造形空間論

我々が形態を作り出す時には常に何等かの一定の基準となるべきものを設定するものである。例えば製図の場合に描く中心線、白紙に文字を書く場合に於ける縦横の線等はかかる基準を與へるものである。中心線と文字を比較してみるに、中心線の場合には図形は普通左右へ向かって相称的に描かれるのに対し、文字の場合には紙の一方側より他方へと1方向的に書き進められる。言い換えれば前者の場合には造形は中心より2方向へ均等に発展するのに対し、後者では1方向的に発展する。即ち両者は造形の発展に於いて基準の設定と方向戸を本質的に異にしているのであるといえる。かかる相違は描き出される形態の寛用的な目的より来るものであるが、今、更に文字を書く方向について考えるに、例えば欧羅巴人は左より右へ横方向に書くに対し志那人は上より下へ縦方向に書いていく。即ち欧羅巴人の場合は造形の基準として横の線を採用し、発展方向として左より右を選んだのに対し、志那人の場合は縦の線を基準として発展方向を上より下への方向に採ったのであって、その基準線及び基準方向の相違が彼等の文字の書き方を規定したものと考えられる。而してかかる基準線及び基準方向として何を選ぶかという事は結局各部族が造形の場としての空間に対する態度、言い換えれば造形空間を把握する方式の相違に歸着するものである。

と、井上充夫先生が昭和18年5月発行の「建築学曽論文集」建築史に述べられ、神社仏閣の形態の時代変遷による移り変わりを詳しく分析しています。

平安時代から鎌倉時代の空間把握方式についてや、何等規則的配置を示さぬ山岳伽藍の如きも近世建築一般に見る空間把握方式成立以前の準備状態として見ることができると述べられている結語が興味深い。





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